1982年
ただの奇形のホラーじゃないな。
結合双生児として生まれたデュアンとベリアルが手術で彼らを切り離した医師たちに復習していく話。
兄弟愛があるが、デュアンは初恋の女性と二人きりで楽しみたかった。だけれどベリアルはまず恋愛や自分の欲望の発散の仕方がわからずにそれが彼らの最期へとつながる。
最後悪夢だけれど、実際に彼らはつながっていた。
ベリアルがシャロンのもとへ走っていく姿を裸のデュアンで表現したところがこの映画で一番食らった。その姿はまるで本能のままに赴く純粋な動物の姿のようで、彼は生まれたときから愛、性欲に対する手立てを何もできなかったのか、それは可哀そう。かわいそうという言葉。とにかく、最後のやるせない気持ちもこの表現が一役買っている。
仮におれが父親になったとして、子供が結合双生児だったとき、おれは彼らの父親のような態度を取ってしまうのではないか。自分の子供だから愛するのか。愛するに決まっているとおれは言うのだろうか、とそんなことを考えた。おれは今のところは結婚も子供をもうける予定もないが、それは置いといてだ。
映像に関して、べリアンが一人で映るシーンではコマ撮りが多くて、時代感があって好き。イレイザーヘッドを思い出す。赤く目が光るのもいい。
おれはどこか、こうして感想として文字に起こすことでボロを出すyou know?全部言わなくていいんだ、あくまで確実に出せる部分っでいいんだ。感想という媒体が1984の監視のような、こうであるべきというのを自分で確立してしまう気がして。わかるだろう、例えば罪と罰だとラスコーリニコフの理論で人を殺めることに対する、それは駄目だ!や、ニヒリズムに対する警鐘。のようなさ。ちがうだろう、そうじゃないだろうって。俺の中は。
じゃあなんでブログやってんの?ってそうさ金儲けさ、そしておれが特別である人間なんだよ!!恐怖、生存本能あとそれの三つで大体は説明できると、人間は。そういうことでおれは自分で自己完結している。先回りしている。と、こう書くことでそれをさらに自己完結しているわけだ。これは無限に続く。だからおれができる誠実さはこんなこと書かずに魂を売ってひたすらアフィリエイトをやり続けることだろう?でもおれはそっちじゃない、とそういいたいのか?はは、ファニー!まあなぜか楽天の商品リンク張れなくなってんだけれどね!へ、へ、へ!
こういう意味で人は孤独なんだ、魂を売って与える側にならざるを得ないんだ。誰かを崇めちゃダメなんだ。まさにneeda, kill the idols.なんだよ。耳にするだれかの言葉、「~のこと信じていたのに、~が問題起こしちゃ何も信じられない。」それだよそれエ!!
いや、これは全部おれが生産と消費に目を向けてることからか?詳しくは知らないがハンナアレントの人間の条件読むべきか?
yeah、おれはすっきりだよ。もやが書けたからね。tbh.
卑下はしない、ただおれが露出狂なだけ。

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