4月16日

自分への教訓として、もし自分を見失って、fucked up なら、外に出る。keep my coolを失ったと感じたなら形ある苦しみに食らいついていけ。かっけえ服を見に纏い、独りで外に出て、本屋のレジの姉さんと話し、たくさんの人とすれ違い、苦しめ。そしてその苦しみ、体感によって、あぁこれが欲しかったんだ、これがおれだってなる。カフカに、うまくいかないことはうまくいかないままにしておかなくては。と教えてもらった。うまく言葉にできないところはそれでいい。だが、変えられそうなら行ったほうがいい。

思い返したらココ何日か家おったもんなぁ、そんでcool失って、溺れていて。ああ、今も公園にいてスマホに打ち込んでいるけれど、人が横を通った。もう何百人と言葉は交わさないけれど、繋がっていて。日が沈んで太陽の暖かさも今消えていったところ。太陽と向き合って本を読んでいる時、人差し指の先からレーザーを打っているみたい。境目の。流石に風が冷たいな、そろそろ帰ろう。目の前のフェンスが太陽の光の影で広がって最後の晩餐みたいな感じだ

ったんだ。おれは視力クッソ悪くて右目0.0なんぼとか。だけれど、裸眼で世界を見て、見えないってなに?ってよく思うんだ、文字は読めないけれど、確かに見えているんだ。そう思っていたら視力が良くなっていきそう。

話を戻すが、もしfucked upなら外に出る。他人と何かしら関わり、エレルギーの渡し合い、外の目、内側の自分の外の目、苦しんで、苦しくないんだけれども。うーん、モドカシイうまく書けねえ。つまり、他人との関係において自分を再構築し、それを保つんだ。言葉にしないほうが良かったか?まあいっか。

あとあれだ、ゲームのランクマッチと、コメント欄、インスタのリール。この3つも最近よく触れていたよな、反省だ。チーム戦のランクマッチでこれはインサイドアウトの練習だ、自分にできることをしようって意気込んでいてもやっぱし怒っちゃうし心の平穏がオクタしてまう。コメント欄を見ることは自分の言葉がモヤに飽和一って溶けてる感じ。インスタのリールは正直クッソおもろいけど、仕組み的にスワイプのドーパミンのやつが壊してくる感じはあるよな。おれのアルゴリズムの問題なんやろうけど、最近のリールは前のdoomerぽい雰囲気から一歩踏み出してポジティブ系でほんまおもろいねんよな。あとインスタは判断が早い、リールでちょっとおれがリピート再生したり止まる時間が長かったりプロフィール見にいったりしたら、その動画の何本か先でそれに関連するのを出してくる。これすげえ。

今日は本屋でショーペンハウア一の自殺について、と失楽園を買った。どっちもなんとなく読みたいなぁって前から思ってやつだから嬉しい、失楽園ってなんかオーラえぐいよなあ。頭ひとつ抜けてるっていうか。

おれ潔癖症だけれど、死がすぐそこにあるとして本当に重大な問題か?、だが難しいよな。潔癖症 fade awayを目指しているけれども、しがらみがたくさんある。今はそれでもいい、ゆっくりでいいんだ。全てが消えていくとしても、今は執着する生き方がいい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました