ショーペンハウアー 岩波文庫 藤野寛訳
読んでいて絶望する。生と死、時間について。p45、現在を享受することを人生の目的とすることこそ最大の叡智である。だがそれを最大の愚かさと呼ぶこともできる、というのも次の瞬間にはもはや存在しないものなど、真剣な刻苦奮闘に値することは決してない。というような内容。よく聞く「今を生きる」は過去や未来がぼんやり頭にある状態でないことをいうとおれは認識している。だが、今は確かにあるが「今」を感じる頃には「今」はもう今ではないし、厳密に言えば今なんてないに等しい、とそう思う。待てよ、ただここでは物事の二面性について話しているだけではないか。おれの言葉が薄く聞こえるのはこのためか。おれは絶望はしていない。
今って言葉でゲシュタルト崩壊している。生まれた時から言葉に縛られている。感想は読み終わってから書くことにしよう。それによって文が少なく、具体性が無くなってもいい。おれは誠実でいたいという気持ちが強い、感想という媒体に対して。次の感想文からそうしよう。途中で書きたくてもこらえて。
また言葉に対して、言葉に縛られているからこそ使う言葉には誠実でいたい。そもそも言葉を使うこと自体がタブーで使うなら厳密で。例えば、夜中に腹が減ってチョコ一枚食べるくらいならラーメンまでいけ、的な。おれは疲れたくないんだ。自分の中の確信とずれた言葉を使うことによって。おれは特に誇張表現においてそれを感じる。
人生は幻滅へのプロセスであり、償いの場所。生と死によって贖う。原罪はそれの寓意表現である。そんな感じ。人生ってまずそもそもいいものじゃないよなと認識すること、してしまうこと、のような。
また誠実の話だが、哲学書を読む時は自分の哲学、信条を強く意識し、その読んでいる思想に浸りすぎないことが大事だと思う。例えるなら友達によって態度を変えるのをやめようぜ、のような。自分の核がある上で読むとどこが共通していて、またどこが気に食わなく、却下、否定されたかが明確にわかる。おれは今ストア哲学から影響を受けている。あらゆることをコントロールしたいからだ。
最後、「人生は、あくまでも、われわれに課された厳しい教程と見なさねばならない。」「幸せな人生など不可能である。人間がせいぜい到達しうる最高の幸福は英雄的な人生行路だ。」この文惚れた。そうだ、これが欲しかった。人生はこうでいい。
子供を生む意志、意志によって人が生まれ、そのため老いると死んでいく。循環。だが、死は個人の、時間からの解放にすぎない。自殺をして確かに意識はなくなるが、自殺をするという意志は決してなくならないということなのか。とても抽象的すぎて。だけれど真剣に自殺という行為について見つめるとそうだよな、と言える。生命という点から見れば何言ってんねん、かもしれないが。
なるほど、自殺をするぞ!という意志ではなく、自殺という行為が苦しみから逃れたいという究極の生への意志であるということか。

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