新潮文庫 工藤精一郎訳
へ、へ、へ! 自薦したな!暗記してやがる。
罪と罰は年末年始に本屋で上下まとめて買って、3ヶ月かけてゆっくり読んだな、50ページ読む日もあれば全く読まない日もあって。ドストエフスキーは少し前に貧しき人々を読んだことがあった、あれは男女がお互い手紙で「ああ私のかわいそうな人。」みたいなのをお互い言い合うのを繰り返している話だった。
ラスコーリニコフは常に頭の中がパンパンで溢れそうで、ノイローゼを患っているようで惹かれる。おれの心の中にも誰の心にもあるが、あるものとは全く違う、ここまでの純度の高さ。
高利貸しの老婆を殺害した後の動揺っぷりがリアルだなぁ、その妹まで殺したのが大きな誤算だった。
もし妹がその場にいなかったら、また違っていたのか。まずそもそも老婆を殺める必要があったのか、だけれど小説やアニメでも、話があってそれがあるのが前提であるわけだからそれを言うのは野暮。というか、だからこそただ娯楽や趣味にとどまらず小説という形を借りて読書に訴えかける、問題提起を与えるということか。おれは小説やアニメに溶け込むように体験するのが好きで当たり前のようにしているけれど、それはあくまで作られたものであるという前提で受け止める見方を最近会得しつつある。そういう風に見れるようになってきた。崇めるような体験の仕方ではなくて現実的な見方として。これは精神衛生上良くなっている気もするし、真っ当な見方だとは思う。だが同時に少し寂しくもある。
ラスコーリニコフだけじゃなくてスヴィドリガイロフの内面だったり、ドストエフスキーのアバターとして、彼の投影されたって感じで好きだな。どのキャラクターも明晰で偏屈で、若い女はなんて言うんだろう、献身的?で儚くて、敬虔で。
文体も好きだな、人間性を綺麗にというより生々しいなと読んでいて思う。一瞬頭によぎる刹那を描写しているのも好きだ。
ラスコーリニコフの選民思想的な考えはおれは正直賛成はできなかった。やっぱり人を殺したわけだし。だけれど彼は結果として、事実として自殺をせずに罪を償う行動をした。どれだけ内で悩もうとも、他人にはわからない。人と生きている以上、行動でしか何もかもが決定されない。彼は悔恨を感じなかったにしても償いに行った。目を背けずに向かい合った。
ラスコーリニコフは人間だったんだなあ。卑劣で卑怯者。一人の人間であるなら罪を犯したら罰がセットにある、ただしそれは遠いところに。おれはやっぱり人は殺しちゃいかんと思う、そしてそれをしたら苦しむべきだと思うんだ。
違和感というか面白いのが彼が獄に入れられて自由になったところ。彼は償いという名の決定に身を置いたわけだ。これは変だけど、彼は実際に思想を行動に移して老婆を殺害したわけだからなあ。悪事ってなんだろう、老婆の死が必要なものとして彼女の生命を計算したことか。彼にとっての罪は自首したこと。一歩を踏み出したがその先で矛盾した行動を取ってしまった。
関係ないけれどおれとおれのお袋、似ているなあ彼らに。いつも部屋にいる時、何しているの?she says。おれははぐらかす。
調べたが、ドストエフスキーは罪と罰を通して当時のロシアの合理主義、ニヒリズムに警告を発したのか。スヴィドリガイロフはまさにラスコーリニコフと対照的で彼の最期は自殺でこれは究極のニヒリズム。ラスコーリニコフは愛を手に入れたがスヴィドリガイロフは拒絶され愛を手にすることはできなかった。
ラスコーリニコフがソーニャの膝に泣き崩れたところでなにか救いというか希望というか、美しさを感じた。
あれ?なんで人殺しちゃいけないんだ?わかんなくなった。ただそれはダメだっていうよく聞く事実なだけなんじゃないの?そっか、言葉で説明しなくていいんだ。
ラザロの復活のようにラスコーリニコフは復活した。
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