多分、おれは理論武装したくてしょうがないんだと思う。あらゆる、出来事、おれに降りかかる出来事を自分の単純明快な理論に落とし込もうとして。だけれど、実際はもっと複雑で。おれの中の大事な考えは、きっとおれの中できっと正しいんだと思う。それは至高であり、他の追随を許さない状態。だからこそ、それが出来ない時、理想の状態でない時に一層苦しみ。そうでない時でも頭の隅に片時も離れず、常に存在し続ける。それが又おれを苦しめる。シオランが、言っていてかっこいいって思ったこと、結論を下さない。この言葉、まさにおれに当てはまる、残る。おれはおれの中の至高を求め続けて、結論を出して、それを真としすぎる癖がある。先ほども言ったが、そんな単純な話でないし、自分の首を絞める。
言葉の武装を今しているわけは、今さっきまで外に出て、またえらく傷ついたからだ。幾千もの人々と沈黙の会話をすれ違い交わし。話す人々は、おれを恐れ、目を合わせるとすぐに外し。スーパーの前ですれ違った女の人は、本気でおれを恐れていた、きっと刺されると思っていたんだろうなぁ。おれはそんな自分を嫌っている風にすることもできるし、そんな自分を好こうとする風にもできる。若い女、それがおれに焦りを与える。本当、一方的な享受なんだ。おれからの。図書館の中で談笑していた老父老婆が司書に注意される。だが、注意された後、再び「こんな言われることなんて、前はなかったのにね。」ってまた言うんだ。なんて、純粋な生物であろう。それを会話として話すのか、と驚くんだおれは。館内の皆、自然な姿形で、各々の赴くまま本を探し当てていくその風景。本をペラペラと音を立てて捲る男。羨ましいのかおれは。おれも確かにその場所にいた。そして今この瞬間、またワンルームの部屋に佇んでいるわけだ、意味もなく。いや、意味はある。お腹が減っていて、炊飯が終わるのを待っているんだおれは。だから、意味はあるんだ。若い女に苦しめられる、今度は一方的に向こうから、幻想攻撃。ああ、六尺にいかないといけないんだおれは。図書館に行ったとしても、おれの部屋にすでにおれが読むべき本は揃っているんだ。だから、結局何も借りない。プラトンを読まないと何も始まらない。アリストテレスを読まないと何も始まらない、ベーコンの新機関が読めない。オルガノ、オベリスク、おおにしぃぃいいい。こんなのばかりだよ、これも先ほど話した自分で自分の首を絞める一例だ。
無限に文章が続いてしまう。言葉、書く不思議なことだ。漫画も読みたいな。おれはきっと本でも、アニメでも、映画でも、「体験したい」ではなく、それを「通過したおれ」になりたいんだろうな。純粋な気持ちで体験したいものを体感する喜びがおれには急遽必要だと強く感じる。だが、これまた焦りが重くのしかかる。アニメでも、体験する前からこれは名作であり、これらを急いで体験しなければならない、という強迫観念が何作、いや何十作もある。今は、fateシリーズ、blue gender、を見ている。あぁ、spead grapher昨日見れなかった。残念。いやあね、勿論楽しんで見ているのだよ、だけれど、わかるだろうおれの言いたいこと。
お米が炊けてしまったよ、次のおれになって行動に移さなければ。豚肉を焼いて、ブロッコリーを切って、焼いて。余計なものは一切口にせず、至高の食事を摂り。だけれど、おれはサルトルの嘔吐の主人公のような、カフカの変身の主人公のような、ドストエフスキーの罪と罰の主人公のような、かっこいい奴じゃないんだ。おれは純粋じゃあ、ない。壊れた、と表現してみたかったなあ、自分のことを。また、部屋に一人、無為に佇む。これが一番おれの望みの状態であり、永劫続けばいいと願う。おれの孤独は人々と種類がまったくもって別だ。と、特別性を獲得したがっているおれがいる。でも残念だったな、おれのその孤独性がどこから来るって、卑しくて、キザで、そんな所から来ているものなんだよ。生きづらさは全く感じない。こんなのクソだ。乞食がボロボロになり最後まで守る、金塊。どうやらおれは、その様子のようだ。おれは幸せの状態である。

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